駐車場~馬場曲輪、物見台/金山城その2
金山に城が築かれたのは1469年。最初の城は山頂付近に小さな砦といった規模の物。その後、数十年に渡って段階的に拡張されていき、現在の規模に至ったと考えられています。
西の「西城」、山頂の「実城」(本丸)、北の「北城」、南の「八王子山ノ砦」という構成になり、その範囲は約300ヘクタールまで広がりました。金山全体が要塞化されたわけですね。
金山の中腹にある駐車場は「西城」と「実城」の間に設けられています。とりあえず「実城」を目指して出発。
駐車場付近は舗装路が整備されています。「もしかしてずっと舗装路が…」と不安を感じたのですが、
|゚Д゚)) まだまだ序盤ですからの
と言い聞かせて先に進むことに。
岩盤が整備前の金山の荒々しさを伺わせますね。しばらく進むと舗装路が終了。土および石敷きの道に変わり、史跡としての雰囲気が徐々に出てきます。途中をすっ飛ばして土橋エリアを紹介。
「土橋」
前方に石積みが見えますが、この間には門があったと考えられています。そして「土橋」の左手には物見櫓。右手は切り立った崖(現在では埋まっています)。「土橋」に達した敵は、前方と左上方から攻撃を受けることになります。
「土橋」の左手
上が物見櫓があったところ。
|ω・`) 上から射かけられたら逃げ場無しだなや
「土橋」を抜けると石畳敷きの通路。さらに進むと「木橋」が出現します。
「木橋」
「木橋」の前方にも石積みがあり、そこに門があったと考えられます。戦闘の際にはこの「木橋」を外して防衛したのでしょう。
「木橋」の右側に通路がありますが、その先は坂(というか堀)。右側に進むと行き先がなくなり、これまたいい標的になっちゃうわけですね。
「木橋」を逆から見たところ。通路もせまく一本道。守りやすそうです。
「木橋」を抜けると左手に上に昇る石段、右手に直進の道が出てきます。右側の道は行き止まり(武者だまり&敵兵へのトラップ)なので左の石段を上ることに。
石段を登ると馬場曲輪が出現。奥に見えるのは物見櫓のあった場所ですね。この馬場からは、「土橋」、「木橋」が見下ろせます。ここから「土橋」と「木橋」の敵を攻撃できたようです。
「物見櫓跡」
物見櫓の跡地には物見台が建てられています。物見櫓を再現して設置するのは安全上よろしくないと考え、鉄骨製の物見台にしたようです。
物見台からの眺めが素晴らしい。北から西に目を向けると赤城山、榛名山、妙義山、浅間山まで一望にできます。これにより上杉軍や武田軍の動きを察知したわけですね。南をみると太田市内を一望できます。北条軍の動きもばっちり把握できますね。
|゚Д゚)) 久々に地平線を見ましたよ
風通りも良く爽快感があります。パノラマの風景は一見の価値ありです。
つづく。次回は「実城」(本丸)のエリアを紹介する予定。
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