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2009年12月 1日 (火)

今川義元は山の上に陣を構えていた など歴史の新説

「その時歴史が動いた」の単行本2、6、8、17巻を購入しました。NHKで放映されていた番組「その時歴史が動いた」を再構成して書籍化したものになります。

|゚Д゚)) プロジェクトXと同じですな

「その時歴史が動いた」は、日本または世界の流れを変えた歴史的な事象を紹介する番組ですが、それだけにとどまらず、のちの研究で判明したことや、新説の紹介なども行います。個人的にはそっちの方に興味があります。

というのも、他の番組等でも指摘されていますが、

|ω・`) 学校の歴史の授業で習ったものはほとんど間違い

であることが判明しているからです。有名なものは、足利尊氏や西郷隆盛の肖像画が全くの別人のものだったとか、捏造されていたものがそのまま定説となっていたとか、歴史の授業で習ったものは、あくまでも「その時点での研究では、こうと思われる」ということなんですね(学校の授業では、これが真実だ! という形で教えていますが…)。

で、「その時歴史は動いた」で取り上げられている新説で気になったのは、

■長篠の合戦で鉄砲の三段撃ちはなかった(2巻)
平地に柵を設けてその中から鉄砲を撃ちまくったという説が何に基づいて定説となったのかを説明。それを覆す証拠の発見、当時の天候と地勢調査などから三段撃ちはなかったと結論。

■本能寺の変で、信長&家臣の奮闘はなかった(2巻)
明智光秀の家臣である本城惣右衛門の手記を元に、撃ち入った際に本能寺には守備兵がおらず、明智軍が信長の従者などを一方的に切り捨てて進むのみで、戦闘と呼べるものではなかった。また、明智軍の兵士は本能寺の襲撃は家康を討ちとるもので、相手が信長だとは全く知らなかった。

■桶狭間の合戦で今川義元は山の上に陣取っていた(6巻)
狭隘な窪地に布陣していたとされる今川義元は、実は見晴らしの良い山に陣どっていたことを、信長の家臣である太田牛一の「信長公記」と、明治時代の測量図から推察。

これらの新説も、その説が完全に正しいと言えるわけではありません(後世の研究でさらに覆される可能性もあります)が、以前の説よりも説得力があり読んでいて面白いです。本能寺に関しては、寺というよりも防衛機能を備えた施設で地下には火薬庫があったなどの説もあるため、守備兵がいなかったというのは微妙だと思いますが、実際に討ち入った人物による手記なので非常に興味深い。

|ω・`) タイムスリップする機械が欲しいです

こういった新説以外にも、学校制度の誕生、日本地図の誕生など興味深いエピソードがピックアップされているので、目次を見て気になった人は一読してみてもいいんじゃないでしょうか。

ただ、元々は映像番組なので、再現映像や状況説明などがあるTV版の方がわかりやすいですね。書籍版は、歴史的な背景などの説明が巧くまとまっておらず、とっちらかった感じ。歴史に興味がある人が読むものと割り切って、中途半端な状況説明は削除。その分、もっと図版を多くして、番組のトーク部分をメインに据えた方が書籍として楽しめる作りになったと思います。

書籍版の評価は☆3。1600円は高い…。でも、学校の図書館や教室などには置いておきたい本ですね。

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