整備され過ぎの金沢城、見所は石垣のみか…/埼玉~金沢ドライブ(その2)
6月20日の13時過ぎに金沢城公園に到着。北のほうだから涼しいだろうと思いきや、気温は33度。湿度も結構高めで肌にまとわりつく感じ。
|゚Д゚))) ちょっと動くと汗でびっちょり
で、石川県丸の内駐車場に車を止めていもり坂口から入場。全体を見て回った印象としては、
|゚Д゚))) 整備され過ぎていて城郭らしさが絶無じゃないですか
ということ。地面の通路はすべてコンクリートで平坦に舗装。そして階段も石段ではなく整備されたものとなっています。城といえば、敵兵の侵入を遅らせるために、平衡感覚を失うような起伏が付けられていたり、急峻な坂道が設けられているのですが、そういった要素がすべて排除されているんですね。
|ω・`) 公園としては素晴らしいけど…
史跡として見た場合は史跡感ゼロ。城を歩いている気が全然しないんです。これは非常に残念でした。そして、見学できる施設として残っているのが、
石川門(1788年に再建)
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(2001年に復元)
三十間長屋(1858年に再建)
でいずれも真新しい。安土桃山時代の建造物で現存するものがないんですね。中に入れるのは、平成になって建てられた菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓だけですし、展示物で甲冑や刀剣、書などが全くないのも寂しい限り。
(´・ω・`) なんで何も残っていないの?
建造物については、
1602年 落雷による火災で天守・本丸を焼失
1620年 火災により本丸御殿焼失
1621年 本丸御殿再建
1631年 城下で発生した火災が類焼し本丸御殿焼失
1759年 城下で発生した火災により城内全域が全焼
1808年 二の丸御殿から出火。菱櫓など焼失
1881年 二の丸御殿、橋爪門、五十間長屋等焼失
再建しては燃え、再建しては燃えの繰り返し。残ったのは石垣のみ。
(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル
これだけ火災による被害が多いと、単なる失火じゃないんじゃないかと疑ってみたくなりますね(元豊臣派ですし。それとも鉛瓦は火災を引き寄せるんでしょうか)。
あと不思議だったのが、前田利家像が凄く目立ちにくいところに設置されていること(普通に見学している人では気がつかないようなところにある)、前田家伝来のものが全くないこと。
|ω・`) これが本当に理解不能
深い理由があるんでしょうかね。敷地が広大なので、石川県立歴史博物館を敷地内に移設するといいんじゃないかなと思いました。
史跡を期待していくとちょっと残念な気分(個人的にはかなりのガッカリ感…)になりますが、公園として見た場合、ものすごく立派なので憩いの場として活用するには最高かも。入場無料であの整備は素晴らしいと思います。
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